追記:空間の染色のために
イメージに結晶化した暴動の記憶があった。
そして、それが食堂にあったということの記憶、そう、結晶化した暴動の記憶が居合わせていた空間の記憶があった。われわれはそれにこそ注視し、それをこそ掬い上げる。
何度でもわれわれは空間に介入する。嘆く美術界隈のアントレプレナーや御用ども、不穏さを無意識のうちに消去する善良な市民たちを尻目に、われわれは共謀の企てと力能の増大を遂行し、そして何度でも、この瞬間にすら生起している 9月28日シンポジウム的なものの失効と混沌色への染色のために歩みを進めることをやめないだろう。